天空の白鷺見学つづき
1階にはパネルがたくさんありました。
昭和の大修理前、明治時代の姫路城。
ボロボロです。
廃墟です。
売りに出されてて、
取り壊して、瓦が売れるかな?と思った人にやっすい金額で落札されたんだけど、
結局取り壊しだのなんだのにお金がかかるので、そのまま放置となる。
これ、姫路市民なら知っている話なのですが、
市民が力を合わせて姫路城を黒い布やらで覆って黒くして、
アメリカの飛行機の目から逃れようとした。
でもこんなん飛行機からでもバレバレやんね(σ`д´)σ
バレバレやったけど日本の歴史的文化財だからアメリカ兵は見逃してくれたんじゃね?
という話です。
そしてこれは前回天空の白鷺を見学した時に、
スタッフのおいちゃんから聞いた話なのですが、
この時の空襲について真実を調べようと、
姫路獨協大学の教授に、アメリカに行ってパイロットを探して話を聞いてきてもらった。
そして元パイロットの話を聞いてみると、
元米兵「え?城?城を攻撃しないようにという命令は受けてないよ┐(´ー`)┌」
元米兵「城を見つけていたら爆弾落としてるよ┐(´ー`)┌」
( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
どうやら爆弾をのっけた飛行機が姫路城の所を飛んだ時は夜で、
黒くした姫路城はマジで見えなかった。
そして、お濠の水の反射だけが見えて、
ここ湖かなと思って、そんなところに爆弾を落としても無駄だから落とさなかった。
というのが真相らしいです。
姫路城が残ったのはホンマに偶然やったんや…(;・∀・)
修理のための足場を組むだけでも、昭和の方が凄いです。
4寸以上のヒノキ1万本以上、今だと用意出来ませんよね(;´・ω・)
このスロープをひたすら往復したってことよね、凄い。
一度全部解体をした昭和の大修復に比べると、
今回の平成の大修復は外側だけって感じですね。
出口。
こういう保存修理の支援箱があります。
100円入れてきました。
この姥が石というのが
この金網の内側にある石。
豊臣秀吉が姫路城の修復を行うときに、石が足り無くなり、
石の提供を求めていたところ
城下のおばあちゃんが自分ちで使っていた石臼を提供した
という話に基づきます。
十月桜
この寒い中、桜、咲いています。
写真は撮っていませんが、
この後、キリシタンであった黒田官兵衛が設置したのであろう、
十文字が入った瓦が残っています。
豊臣秀吉時代のバテレン追放令にも関わらず残っているのが奇跡らしい。
あと半年だと思うとカバーも愛しく思えてきます。
このカバーをとったら、
周りの修繕をしていない屋根との差が大きくて目立ちそうです。
ピオレ姫路のメッセマッセでランチ
山陽百貨店地下のケーニヒスクローネでおやつ。
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